ドライゼ銃の名声が欧州全体に広まり、多くの追従者が生まれたのは、プロイセン軍が幾多の戦役で勝利を収めた1860年代に入ってからの事である。
ドライゼ銃の配備を自国と同盟国に限定し、その構造を軍事機密として秘匿しようとのプロイセン軍の試みは、配備が始まって間もない1848年の3月革命で、軍の兵器庫から多数のドライゼ銃が盗難された事から早々に潰えてしまった。
最も早く1850年にドライゼ銃の模倣を試みたのは英国だったが、その特異な構造を理解するのに必要な盗品のサンプルは既に多数流通しており、多くの軍事技術者にとってドライゼ銃の構造は特別な知識ではなく、ほぼ同時期の日本でも洋学者達はテキストから同じ水準の知識を得ていた。
民間企業の経営者だったドライゼ自身も、民生市場向けに多数の紙製薬莢使用の火器を販売しており、遠く離れた米国ですらドライゼの紙製薬莢用に合わせて改造された回転式拳銃が市販されるほどの成功を収めており、一時は最も普及した一体型薬莢の代名詞ともなったドライゼ銃はその欠点とともに広く知られた存在となっていた。
後装式ドライゼ銃と紙製薬莢の登場から、これに欧州各国の軍が興味を抱くまで25年近くもかかった理由は、ひとえに前装銃と比較してドライゼ銃の射程・威力が劣っていた点にあった。
こうした欠点を差し引いても、後装式であるドライゼ銃に多大な軍事的メリットがある事が理解されるのは、プロイセン軍が幾多の戦役で勝利を収めてからようやくの事であり、ドイツにおける武器生産の中心地だったズール市やイタリア(トリノ造兵廠・カルカーノによる設計)・ロシア(ツーラ造兵廠)で独自の改良を加えられた模倣品が製造されたが、最も完成度の高い改良型はプロイセン最大の脅威だったフランスで製造されたシャスポー銃だった。
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1862年 Joseph Dorschによる改良型 [編集]
ドライゼ銃の工場で徒弟として働いていたJoseph Dorschが独立して、1857年にズールで自らの工房を開き、ドライゼ銃の閉鎖機構を独自に改良した紙製薬莢を使用するボルトアクション式小銃の試作品を製作した。Joseph Dorschはスポンサーとしてプロイセンの軍人貴族だったCramer von Baumgartenをパートナーとしたため、その試作品は後にDoersch & von Baumgarten銃(バウムガルテン銃)と呼ばれた。 [5]
同銃のボルトによる閉鎖の構造はドライゼ銃よりもシャスポー銃に近く、ボルトは銃身(薬室)後端内部に挿入される構造となっていたが、同銃のボルトにはシャスポー銃のようなガス漏れ防止のための仕組みは無く、紙製薬莢の基部(後端)にグリスを塗したフェルトが置かれ、発射時の圧力でボルトに押し付けられたフェルトがガス漏れ防止パッキンの役割を果たすようになっていた。また、ドライゼ銃や他の多くの後装式銃と異なり、同銃のレシーバは銃身の後部を切り開いて製造されていたため、加工が難しくなり歩留まりが悪くなるためドライゼ銃より高価だった。
同銃は1862年にSchaumburg-Lippe侯国軍によって採用・配備されたが、使用された弾薬は同銃専用のガス漏れ防止のフェルトパッキンの無いドライゼ銃と共用の弾薬だったため、ボルト先端と銃身後端が密着するドライゼ銃よりガス漏れが酷い状態となった。
このためDorschは薬莢の後端に円盤型の薄いゴムを貼り付けてガス漏れを防ぐ工夫を提案したが、これは高価なゴムを使い捨てにするため現実的な方法ではなく、後発のシャスポー銃がボルトにゴムリングを装着して完全なガス漏れ防止を実現したのと対照的に、それ以上の発達を遂げる事無く消滅し、現存数は極めて少ない。