高学歴者は在学中徴兵されない
高学歴者は在学中徴兵されない仕組み(在学徴集猶予の制度、昭和18年(1943年)に大学院特別研究生と理工系および教員養成学校在学者の入営延期に改められ文科系学生には猶予が撤廃された)があり、卒業後に徴兵検査を受けることとなるが低学歴の徴集兵と較べ知識の差に加え年齢も上であることから、受け入れる側の部隊としても扱いにくく実際に入営することはあまりなかった。だが日中戦争が長期化し戦線が拡大すると、兵員不足によりこういった高学歴者も実際に召集され入営し兵役に就くようになった。中等学校卒業以上の学歴を有するものは召集後幹部候補生に志願し将校や下士官になる途もあり、大戦末期には幹部候補生への志願が半ば強制となったが、軍人以外の途を持つ者にとっては軍務に就く期間の長期化に繋がり、卒業後ある程度の年月を経て相応の社会的地位にある者には志願しない者も少なからずいた。これらの者達は古参兵や下士官となった低学歴者の格好のいじめの対象にされた。
兵卒の徴兵制度については日本軍の兵や帝国陸軍身体検査規則参照。また、兵卒や営内居住の下級下士は内務班に属した。大部分の歩兵にとって、基本的な部隊は中隊となる。
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帝国陸軍の起源は、明治維新後の明治4年(1871年)に、薩摩・長州・土佐から徴集され組織された天皇直属の「御親兵」である(正式に陸軍省が発足するのは明治5年(1872年)2月の兵部省改組による)。この兵力を背景にして廃藩置県を断行した。御親兵はその後「近衛」と改称された。その時点では士族が将兵の中心であったが、陸軍としては徴兵制による軍備を目標としていた。
この創成期の帝国陸軍建軍では大村益次郎が兵部省兵部大輔として主に兵制の基礎を構築し、士族による軍制から徴兵制度による国民兵制への移行を目指した。不幸にして大村が暗殺されると、その後を山縣有朋が承継して明治7年(1874年)1月に徴兵令を発布し同年4月に東京鎮台に初の徴兵による兵卒が入営した。